3、フランク・トーマス(ホワイトソックス~アスレチックス~ブルージェイズ~アスレチックス)
ホワイトソックス史上最高の選手であり、90年代最強打者の一人。89年にドラフト1位でホワイトソックスに指名され入団。90年にデビューを果たすと翌年には早くも3割30本100打点を記録。OPSも10割を超えるなど早くもスーパースターの仲間入りを果たします。93年、94年にはMVPを獲得。特に94年はストによる短縮シーズンであったにもかかわらず38本塁打、101打点、OPSは1・216という驚異的な数字を残しました。その後もホワイトソックスの主軸として活躍します。トーマスといえば、スラッガーのイメージが先行しがちですが、97年には首位打者を獲得するなど通算打率も3割を超えてます。また、選球眼の鋭さは特筆すべきものがあり、シーズン100四球以上を10回記録しています。
しかし01年にけがをして以来、徐々に衰えを見せるようになります。チームが88年ぶりの世界一に輝いた05年もわずか34試合の出場にとどまり、オフに16年間在籍したホワイトソックスを去ります。その後なかなか移籍先が決らないでいましたが、スプリングトレーニング直前にアスレチックスと契約。1年でわずか50万ドルと前年比では95%のダウンという屈辱的な内容でしたが、現役続行を熱望していた彼はそのまま入団します。すると、開幕戦でいきなり本塁打を放つなど39本塁打、114打点と完全復活。チームの地区優勝に貢献します。その年のオフにはブルージェイズと2年1800万ドルで契約。貧打に泣いたチームの中で26本塁打、95打点と気を吐きました。しかし、翌08年は開幕から大不振。わずか16試合に出ただけで解雇されてしまいます。その後、アスレチックスと契約しますが2年前のような活躍を見せることはできず、8月にふたたび解雇されてしまいました。09年はどこにも所属することなくシーズンを終え、今年2月に正式に引退を表明しました。8月にはセレモニーが行われ、ホワイトソックス時代の背番号34は球団の永久欠番となる予定です。
通算成績:http://www.baseball-reference.com/players/t/thomafr04.shtml
4、ケン・グリフィー.Jr(マリナーズ~レッズ~ホワイトソックス~マリナーズ)
シアトル最高の英雄であり。90年代最強打者の一人。華麗なスイングから放たれるアーチは多くのふぁんを魅了しました。父シニアは70年代に猛威をふるったビッグ・レッド・マシンの一員として活躍した選手。通算2143安打を放った巧打者でした。87年にドラフト1位でマリナーズに入団。89年に若干19歳デビューすると16本塁打を記録。父シニアがマリナーズに移籍してきた翌年には史上初めて、親子での2者連続本塁打を記録します。その後も安定して3割20本塁打を記録していましたが93年に45本塁打を放ちブレイク。7月には8試合連続本塁打のメジャー記録を樹立しました。翌年にはリーグトップの40本塁打を記録し名実ともにスター選手の仲間入りを果たします。97年には4月にメジャー新記録の13本塁打など56本塁打と爆発。チームの地区優勝に貢献しMVPに選出されます。翌98年も56本塁打、146打点を記録。メジャー史上3人目となるシーズン50本塁打、20盗塁を記録。また同じく史上3度目の3年連続140打点以上を記録しました。グリフィーはいわゆる5ツールプレーヤーとして知られ、打撃だけでなく守備でもゴールドグラブ賞を10回受賞するなど最高レベルにありました。また、当時メジャーに蔓延していたステロイドとも全くの無縁であり、暴露本で有名となったホセ・カンセコでさえも「奴はクリーンな選手だ」と言った程でした。それは上述のフランク・トーマスも同様です。
マリナーズの顔として活躍していたグリフィーでしたが、99年オフに実家シンシナティを本拠とするレッズへの移籍を希望。いろいろゴタゴタがありましたが、トレードでレッズ入りを果たします。移籍初年度から40本塁打を放つなど活躍。この年の4月には当時最年少(現在はA・ロッドが更新)で通算400本塁打を達成しました。しかし、よく01年は開幕から出遅れ111試合の出場にとどまり、以後02年から3年連続で100試合未満の出場に終わるなどけがに悩まされました。05年には35本塁打を放ちカムバック賞に選ばれますが、翌年もけがで離脱。07年にようやく01年以来となる140試合以上の出場を果たし30本塁打を放ちます。この年の交流戦では古巣マリナーズとの対決が実現。試合前にはセレモニーが用意されるなど大歓迎を受けました。グリフィー自身も第3戦で2本塁打を放ち、ファンの期待にこたえています。契約最終年となった08年はチームの若返り政策の一環でシーズン途中にホワイトソックスに移籍。9月には歴代単独5位となる通算610本塁打を記録。ツインズとのワンゲーム・プレーオフでは好返球でランナーを本塁で刺すなど、チームの地区優勝に貢献しました。そしてオフには古巣での現役引退を望んでマリナーズに復帰。けがなどの影響も有りかつて守備力はなく、指名打者での出場が中心でしたが19本塁打を放ちます。しかし、よく10年は開幕から大不振、さらに試合中に居眠りしていたことが報道されという災難にあいます。結局この年の6月に引退を表明。チーム史上最高の選手にとってはあまりにも悲しい幕切れとなってしまいました。イチローの「グリフィーが傷ついて去っていったのがつらかった」という言葉が印象的です。しかし、シアトル市民にとってグリフィーはかつてのエドガー・マルティネスとともに英雄です。また、ステロイドを使っていなかったことも考えると、90年代最強打者はこのグリフィーだと言って間違いないでしょう。
通算成績:http://www.baseball-reference.com/players/g/griffke02.shtml
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